どどめ色の真実

ジャンルばらばらの闇鍋ブログでございます。

【うみねこ】2.金蔵ぐう聖説

 

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 *「わたし サヨよ

   おでんわ ありがとう。

   わたし じょうじが

   はんにんだと おもうよ。

 

※このページには「うみねこのなく頃に」の多大なるネタバレが含まれます。
 未プレイの方はご注意ください。
※今回の考察は金蔵さんへの愛で溢れています。ご注意ください。
 

 

■"すっごい悪い奴"について

 「右代宮金蔵についてどう思いますか?」と聞くと、大抵の人間は低評価を下すと思います。右代宮一家における業の始まりは彼であり、自分とビーチェの娘を九羽鳥庵に幽閉していたこと、彼女を父としてではなく女として愛してしまったことは、倫理的にも大いに問題のある行為です。また、彼の家族への態度が数々の不和を招いてきました。九羽鳥庵ベアトの子供が死んでからは自分の世界に没入してしまい、富豪の義務である財産管理を全て丸投げしてしまいます。"すっごい悪い奴"です。
 初めに断っておきますが、私は右代宮金蔵が結構好きです。経営者の持論に関する本を読んだりするのが好きだからでしょうか、初老まで辛酸を嘗めながらも黄金を元手にガンガン邁進する暴君ぶりは嫌いではありません。ですが、ベアトリーチェ関連や家族への対応が褒められたものではない、というのは確かです。
 1986年10月4日の時点で右代宮金蔵は既に死亡しています。作中の人物にとっては誰かの幻想であり、ボトルメールを読む人にとっては安田(もしくは十八)による描写です。
 では、生前の右代宮金蔵はどのような人物だったのでしょうか。幻想ではない金蔵について確かなことは何なのでしょう。
 世間でのイメージは「短期で気まぐれな暴君」です。交渉事に臨む態度も自信に満ち溢れ、対する相手を委縮させる程の威圧感を持っていたことでしょう。金塊の真偽を疑う必要がないようひとつ抜き取って持ち帰らせるなど、インパクトの強い話も残っています。ですがep8で戦人が縁寿に言ったように、それはあくまで対外的な面でしかありません。
 
 以前、偶然飲み屋で歴史小説好きの方と同席し、互いに色々議論を交わしたことがあります。(知識量は向こうが上だったので、大半は私が聞くばかりでしたが。)その時の話題のひとつに、芹沢鴨の人物像がありました。新撰組筆頭局長でありながら粗暴で野蛮、人妻を寝取り、定期的に暴力沙汰を起こす男。"すっごい悪い奴"です。局長近藤勇が活躍し始めるのは彼の死後なので、大抵の小説では前半で殺されます。彼が死んでから物語が始まる、云わば新撰組小説の時報です。当時を生き延びた永倉新八曰く、彼は身内の粛清で暗殺され、犯人は近藤派の人間です。そんな芹沢鴨について、小説ではなく実際は案外"すっごい悪い奴"ではなかったのでは、という話をしました。これは人妻お梅を寝取った件についても、強引に奪ったといわれることが多いけど実は両想いラブロマンスがあったのかも、という話題から派生しました。小説内では話の都合上(近藤派に正当性を与えるという意味で)悪人にされているけれど、実際がそうとは限らない。資料が少なすぎて小説のイメージが先行しているよね、という話です。(一度死刑判決を受けた、という結構確実だった情報さえも最近別人説が出てるとか。)
 
 またある日、本屋の子供向け歴史コーナーにて「明智光秀」について書かれた本を手に取りました。漫画で読める系のやつです。主人公なので当然ですが、市井を想い未来を見据える好人物として描かれていました。謀反を起こして信長を討つもその後の対応で失敗し三日天下と終わりますが、それも巡りが悪かっただけ。農民に殺される場面さえ最後まで世を憂うイケメンでした。明智光秀に対して好意的なイメージで解釈した結果とでもいいましょうか。その代わり信長の"すっごい悪い奴"部分が強調され、謀反を起こす気もわかる描かれ方をされていました。例えば信長や秀吉を主人公にした作品なら、明智光秀"すっごい悪い奴"だったり智謀が足りない部分が強調されるかもしれません。ある意味歴史小説(漫画)は六軒島爆発事故に対する偽書のようなもの……なのかも。
 
 "すっごい悪い奴"がいるからこそ、主人公に正当性が与えられる。
 『うみねこのなく頃に』の"すっごい悪い奴"、右代宮金蔵。
 右代宮金蔵が全ての元凶だったら、他の登場人物は皆、彼の業に巻き込まれた被害者。
 物語というババ抜きで、”罪”というババは右代宮金蔵の手に渡った。
 
 でももし、この『うみねこのなく頃に』が本当はジジ抜きだったとしたら……?
 

■戦人によく似た金蔵の罪

 右代宮戦人には罪がある。紗音と結んだ約束を、それ自体忘れてしまったという罪が。自分にとっては何気ない言葉が相手にとってはとても大きな意味を持つ。価値観の違い、解釈の違い、感性の違い。約束を思い出した八城十八の中の戦人は自分の”罪”を認め、ベアトリーチェを認め、自らが魔女になります。
 ですが当時の戦人は12歳。仮に約束を思い出したとして、それが遠因で親族が全滅したとするのはあまりに酷な話です。実際、「身内を殺された戦人が真犯人に同情する気持ちがわからない」という意見も聞きます。フェザリーヌさえ「尺度が違うとはいえ(これを罪というのは)割りに合わないと思う」という旨の発言をしています。私もそう思います。
 重要なのは、右代宮戦人という男がそれでも責任を感じる人間だった、ということです。普段の行動は勢いに任せて失敗をやらかすが、その失敗の責任はすべて自分が背負う。この辺りは留弗夫とも似ています。留弗夫は妻子がありながら霧江と不倫し、妊娠させてしまいます。そして妊娠中に死亡した明日夢の喪が明けない内に霧江と入籍し、一部始終を察した戦人が絶縁を叩きつける結果となりました。せめてもう少し後に結婚していれば、となりますが、出産後は縁寿が戸籍上実子と認められなくなります。その代わり、縁寿の父が明らかにならないことで留弗夫の名誉は保たれます。妊娠中に結婚するという一手により、縁寿は婚外子とならない代わりに留弗夫は”罪”を認めることになりました。一生戦人に怨まれても仕方がないくらいです。その戦人に対しても赦されないからと放置するのではなく、戦人の心が揺らぐほどの謝意を見せました。
 安易にトラブルを招くが、その後の責任は全て背負う。それは戦人や留弗夫だけでなく、実は金蔵もではないかと思いました。
 
 プレイ当時、19年前の赤ん坊がベアトリーチェの子供ではないか、というところまでは考えが及びました。ep7にてウィルが金蔵とベアトリーチェの子供だと断言しますが、私は源次が黒幕の可能性を考えていたので、源次との子供ではないかと考えていました。話を進めてもこの疑念は拭えず、明確に否定できる部分も見つかりませんでした。「金蔵が父としてではない愛情を向けていた」という部分は、南條と熊沢の語るところです。もし源次が九羽鳥庵ベアトに想いを寄せていたとしたら。自分の親友が自分の娘に恋をしていると知った金蔵が、それを認めたとしたら。ep7内では罪を犯したのが金蔵でフォローをし続けたのが源次、という構図ですが、実は逆なのではと考えました。娘を軟禁状態だが手放すこともできない金蔵が源次の恋心を知り、それで娘も幸せになるんじゃないかと応援したが、それは娘の望んだ幸せとは違った。たとえ狭い世界でも愛する二人には十分と考える金蔵と、恋に興味がなく広い世界を知りたいと望むベアトリーチェ。二人の関係がばれないように周囲には自分が好意を向けているように振る舞い、熊沢と南條の警戒を自分に向ける。その結果子供を授かるが、ベアトにはそれを幸せと感じることができず、楼座と共に外へ出てしまう。自分の安易な善意が最悪の結果を招いたことを知った金蔵は、全ての責任を自分が背負うことにした……そんなことを考えながらプレイしていました。もちろんそのまま金蔵75%としても考えていましたが、いくつかの可能性を同時に考えるのが私のうみねこプレイスタイルです。
 
 また、CS版うみねこが発売された時、規制に引っ掛かりそうな用語などが変更になりました。その過程で近親相姦の描写が引っ掛かったようで、「金蔵とビーチェの娘が九羽鳥庵ベアト」という部分が「金蔵と出会った時には既に娘がいた(妊娠中?)」という風に変更になりました。ここについては設定が大きく変わるので「そこは変えちゃダメだろ」という意見が多いのですが、私はむしろ、それでも話の筋が通るのではないかと思いました。原作だと金蔵75%の人間が身内に恋をした、という点が真犯人にとって悩みの種であるように思えますが、それ以前に三親等以内(法律上結婚できない)という時点で真犯人の価値観ではダメだったのではないかと。同時に、前述した源次の娘説と合わせて、「実は真犯人と金蔵に血の繋がりがないのでは」と考えました。CS版だけではなく、原作でも。
 
 ビーチェが別の男の子供を妊娠していると知って、金蔵は「それでもこの子供は自分の子供だ」と言い張ります。その言葉はビーチェにとって救いになったことでしょう。ですが、出産後すぐ彼女は死亡します。当時の日本は終戦直後、ついこの間まで竹槍を持って鬼畜米英を唱えていたころ白人の娘を誰かに預けるのはかなり危険です。金蔵にとっては目の届くところに置いておくのが一番安心できます。自分とビーチェの娘ということにすれば、養う理由としても十分です。ビーチェと同じ名前をつけたことに対しては、欧米では子供に親と同じ名前を付ける感覚だったのかもしれません。西洋かぶれなのでそういう知識はありそうです。
 仮にそうだとして、じゃあ何が金蔵の”罪”なのか。
 自分なりに(それぞれのベアトリーチェに対して)良かれと思ってやったことが全て裏目に出てしまったことに責任を感じていたのではないか。それを全て自分で背負おうとする人柄だったのではないか。留弗夫と戦人のように。
 
 金蔵は、真犯人に自分の血が0%であると知っている。
 源次は、金蔵の血が50%流れていると思っている。
 熊沢と南條は、金蔵の血が75%流れていると思っている。
 その他の人間は、0%だと思っている。
                         ……なんて、どうでしょう?
 

■全ての罪と穢れをXに

 更に確変を狙うなら、家族に対する態度も単に愛情表現が下手だったから、という形にもできます。
 
 蔵臼:自分が完全に放任されていたので、ちゃんと帝王学を学ばせる。
  結果→それに応えようと金蔵の態度を真似し、弟妹から顰蹙を買う。
 
 絵羽:いい男と結婚して幸せにする為に、男勝りな態度を厳しく窘める。
  結果→男尊女卑に憤り当主への夢を捨てられなくなってしまう。
 
 留弗夫:蔵臼や絵羽ほど厳しくは躾けない。
  結果→兄姉の間を要領よく渡り、妹には傲慢に接してしまう(兄姉の真似)。
 
 楼座:九羽鳥庵ベアトの後に生まれてるので、妻に対する罪滅ぼし?
  結果→歳が大幅に離れていることで兄姉から虐められる。
 
 ……さて、これでいくらか金蔵への解釈が広がったでしょうか。 
 魔女を認めれば、誰も疑わずに済む。いがみ合う必要もなくなる。だって、魔女以外の誰もが被害者なのだから。
 それが初期のベアトの主張であり、幾度となく戦人の心を揺さぶってきました。
 だからこそ、私は今の「金蔵が全ての元凶」という状況をそのまま受け入れたくはありません。だって悔しいじゃないですか。
 正に悪魔の証明。魔女の島の中では「金蔵が全てを伏せたまま死んでいった」可能性を否定できない。
 全てが金蔵のみぞ知る状況ならば、この説は(恐らく竜騎士07先生が想定したであろう)三位一体の上であっても成り立ちます。自分の中の数多い仮説の中でも一番のお気に入りであり、結構本気であり得る話だとは思っています。もしこれを読んでくれた誰かが改めて『うみねこ』を読み直す際、「金蔵の言動の大半は演技とすれ違いなんだ」という前提で読んでくれたのなら、嬉しいです。前提と価値観の違う推理で臨めば全く違う色が見いだせるのがこの作品の面白いところだと思っておりますので。
 
 この考察を読んだあなた。どうか金蔵を信じてみてください。
 それだけが私の望みです。
 
 2019.09/09