どどめ色の真実

ジャンルばらばらの闇鍋ブログでございます。

【うみねこ】3.別に惨劇なかった説

 

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ジョウジ「バトラくん なにを かんがえて いるんだい!
     いくら バトラくんでも、しまいに
     こうぜん わいせつで しょっぴくよ。
 
 
※このページには「うみねこのなく頃に」の多大なるネタバレが含まれます。
 未プレイの方はご注意ください。
※「ひぐらしのなく頃に」のネタバレも含まれます。
※真犯人と表記する場合、原作通りの紗代と自説の安田両方を含みます。
 

 

■あの日の真実に一番近いのは

 
 事件後「なぜか」屋敷周辺が爆発により焦土と化し、「なぜか」隠し屋敷九羽鳥庵にいた絵羽一人が生存します。世間では絵羽が金銭目的で皆殺しにしたとされますが、「なぜか」黙して語りません。この「なぜか(Why)」を綺麗に埋めることができるのが次男一家犯人説です。縁寿を憎む理由も「愛息子を殺された相手の娘であり、それでも愛情を注ごうとする自分を拒絶したから」とすれば筋が通ります。(それでも愛したようですが。)
 筋が通る。それが全てです。ep5の夏妃犯人説のように、筋が通ればそれが真実になります。そして私が提唱するのは次男一家犯人説以外で筋の通る説です。
 即ち、「惨劇などなく、ep8が一番真実に近い」説です。
 ep8をプレイした方はどのような感想を抱いたでしょうか。「茶番」「明らかに嘘」「優しい世界」……とにかくあの親族会議を真実と捉える人はそういない筈です。ベアトもこれが真実である訳もないと言っていました。なぜなら私たちは今まで散々、右代宮家の不和を見せられてきました。業の深さを見せられてきました。縁寿のように拒絶するのが普通です。
 今までのepは「作者の主観」が色濃く影響しています。以前歴史小説の例を出しましたが、史実を元にした小説というのは作者の贔屓によって大きく雰囲気が変わります。全登場人物に対してフラットな目線で臨むのはなかなか難しいことです。ボトルメールを執筆した安田が右代宮家にいい感情を抱いているとは思えません。特に金蔵に対しては自分の娘に手を出した最悪の男という印象を抱いているはずです。十八も同じく右代宮家の業を深く感じているでしょう。だからこそ後半、戦人(十八)がベアトに対して情を寄せてきます。ですがそれは全て創作世界だ、というのがうみねこの世界観です。
 親族内の不和を解決するためには何が必要でしょうか。
【親兄弟の借金】
 最善手は「遺産の生前分与」であり、その為にはep8の通り金蔵が宣言しなければなりません。ですが右代宮金蔵が二年前に死亡している時点でそれは不可能です。
 なぜ、右代宮金蔵が死亡していると分かったのでしょうか。二つのボトルメールを読んだ八城十八が書いた偽書Alliance内において、赤き真実でそう宣言されたからです。うみねこ世界の現実において、金蔵の死亡を疑う物的証拠は何一つ見つかっていません。現にep4で小此木が「事件当日、金蔵が絵羽を隠し屋敷に呼び出したのではないか」と語っており、死亡したとは考えていませんでした。金蔵が既に死亡しているのは偽書内の設定に過ぎず、実際は事件当日まで元気だったの可能性があります。そもそもあの世界においては世間的にフィクションと思われる作品の設定より、金蔵生存説が強いのではないでしょうか。
【どうあがいても近親恋愛】
 九羽鳥庵ベアトと金蔵の子供は、孫世代とは法律上結婚できません。また九羽鳥庵ベアトが金蔵の娘なら尚更近親意識が強くなります。実際、原作通りの三位一体説における真犯人の動機の根幹はこれのように思われます。しかし、以前not三位一体説で述べたように、実は金蔵と血の繋がりがない可能性があります。もし金蔵と源次がそのことを真犯人に伝えたのなら、事件を起こす理由がなくなってしまいます。
 
 もしも1986年10月4、5日に、親族間の問題が全て解決していたのならば。
 ep2のお茶会において、子供の頃の理不尽を受け入れることが大人になるということだという文がありました。もし親兄弟が過去の言動を悔いていて、互いにそれを許し合ったのなら、今までのしがらみから解き放たれることになります。加えてep8の時のように金蔵が生前分与を宣言すれば兄弟間でいがみ合う必要がなくなります。また、真犯人に対し実は金蔵の子供ではないと告げたのならば、近親に関する悩みも薄くなります。(譲治か戦人か朱志香かという問題はありますが、それも事件を起こすほどではなくなると思います。)六軒島爆発時に何故絵羽だけが隠し屋敷にいたのかについてですが、実は親族会議中に次期当主が絵羽になったのではないでしょうか。金蔵と蔵臼は絵羽が当主に憧れ続けたことをよく知っています。それがついに認められ、黄金と共に当主の称号を与えられたのだとしたら。例えば、今後を落ち着いて考える為に隠し屋敷に一人で一泊したい、などと言い出すかもしれません。
 
 ……と、これでもかというくらい都合のいい状況を考えてみました。
 惨劇などとは程遠い、幸せと優しさに満ちた二日間。
 それが爆弾の不調で全て吹き飛んでしまったとしたら。
 世間に晒されるのは親兄弟がそれぞれ金に困っていたこと、仲が悪かったこと、つまりは親族会議以前の要素のみです。絵羽が過ごした幸せな二日間は絵羽以外誰も証明できず、誰も信じてはくれません。更にボトルメール偽書により、右代宮家の悪評が定着します。縁寿に何があったのか聞かれますが、特に事件が起きた訳でないなら説明のしようがありません。誰かを偽の犯人として語ればいいのかもしれませんが、幸せな二日間を過ごした絵羽は誰かに罪を着せることができず。そもそも縁寿は絵羽犯人説以外を受け入れる気が最初からありません。こうなると絵羽のその後の言動とも矛盾しません。多分。
 
 惨劇などなかった。あったのは、悲劇だけ。もしそんな真相ならあまりにも悲しすぎます。
 
 

■黒を覆う白い魔法と、白を覆う黒い魔法

 
 私見で恐縮ですが、縁寿が追い求めていた「あの日の真実」について、EP7裏お茶会、つまり次男一家犯人説が真であるという意見が一番有力だとされていると思います。
私は当時あれを真実とは思っていなかったのですが、周囲の声の大きさに押され、また絵羽の言動に説明がつくという意見に一理あると思い受け入れてしまいました。
しかし、色々考える内に「お抹茶会はあくまで縁寿にとって一番嫌悪を感じる推理であり、巷間に膾炙した説に過ぎない」という結論に至りました。
 なぜ大半のプレイヤーがお抹茶会が真実と捉えるのでしょうか?
 ・事件後の絵羽が縁寿に真実を伝えない理由として十分だから。
 ・絵羽と戦人の生存に矛盾しないから。
 ・留弗夫と霧江の描写や今までのビジネススタイルからしてやりかねないから。
 ・『真犯人の悲劇』というドラマチックなものを見た後だから。
 ・物語の業の深さが増すから。
 
 上記はあくまで私が感じた理由です。ひょっとするとこれ以外にもあるかもしれません。
 次男一家犯人説に明確な証拠はありません。それでも後世ではそれが真実であるかのように広まり、縁寿を苛むことになります。長きに渡って大量殺人の犯人として悪評を押し付けるのは、もし実際に犯人でないなら死者への冒涜もいいところです。
 ep7で喪が明けない内に霧江と再婚し、戦人が家を出た際、留弗夫は蔵臼との対話の中で「もし地獄にリザーブがあるなら、特上の席を取っておいて欲しい」と言っていました。未来世界で大量殺人の汚名を着せられる、というのはこれの暗示なのではないか、と思いました。自分の死後の事など気にしない、という人もいますが、無実の罪で延々と死体蹴りされ続けるのはなかなかに酷い話です。しかも一なる真実の書公開詐欺があったから波が引いただけで、最後まで次男一家犯人説が最有力だったのだと思います。縁寿を見る限り。
 
 白い真実と黒い真実が提示された場合、どちらを選ぶでしょうか。
 自分の良く知る人間に対してなら、白い真実を信じることができます。しかしよく知らない他人、芸能人や政治家などに対しては私たちはしばしば黒い真実を信じてしまいがちです。ましてや留弗夫のように黒い噂が取り沙汰されると、無理矢理信じろという方が無茶でしょう。
 うみねこに出てきた魔法の多くは、悲しみを覆う優しい虚飾、黒を覆う白い魔法でした。ポジティブシンキングに近い部分があります。
 しかし、こうして次男一家に、右代宮家に対する疑惑は、白を覆う黒い魔法なのかもしれません。疑わしきは黒。相手が芸能人や富裕層などの場合、ep3裏お茶会で絵羽が言っていたように、悪趣味な娯楽として扱われるでしょう。ep7裏お茶会が真実なら、ep3以降絵羽を犯人とみていた人間はずっと黒い魔法を使い続けていたことになります。そしてep7裏お茶会を見終えた後には黒い魔法の矛先を次男一家に向け、今まで責め続けていた絵羽に同情し始めました。(私もその類ですが。)
 絵羽犯人説も、次男一家犯人説も、確たる証拠は何一つ挙がっていないにも関わらず。私たちの魔法によって犯人が作られていきます。
 
 黒を覆う白い魔法にはある程度自分の意志が必要ですが、白を覆う黒い魔法は何も考えずに使えてしまいます。
 事件がないところに事件を作り出し、犯人などいないのに犯人を作り出す。
 黒い魔法というのは本当に厄介なものです。
 
 

■ep8とはなんだったのか

 
 竜騎士07先生は「誰か一人に責任を押し付ける」という考え方を殊更嫌っているように思います。結果ひぐらしの祭囃子編では「全ての罪と穢れと業と呪い」を神(羽生)が背負うことで敗者のいない世界が紡がれます。神とはいいますが、雛見沢症候群という病気を原因とすれば誰も責めずに済む、という解釈もできます。
 六軒島症候群、あるいは魔女が全てを背負うのなら、まさに祭囃子編のような世界を創ることができる、のでしょうか。言い換えれば魔女や病という生贄にババを渡さなければうまくいかない、ともなります。
 もしそんなことをせずに最善の選択肢を選ぶことができるのなら、どれだけ素晴らしいことでしょう。
 
 ep8では登場人物が皆、全てを知っているような素振りでした。特に印象的なのは、未来での縁寿への態度を悔やむ絵羽に対し、霧江と留弗夫が優しく語り掛けるシーンです。とてもじゃありませんが殺し合った間柄とは思えません。夏妃も絵羽と縁寿を見て、19年前の赤ん坊を拒絶したことを後悔していました。これは戦人(十八)が縁寿の為についた嘘なのでしょうか。
 私がep8をプレイした時、最後のゲーム盤の登場人物は皆、全ての罪を赦し合うに至ったのではないかと思いました。他人の罪を責めるよりも、自分の罪を認めるほうが難しく、苦痛です。ひぐらし罪滅し編の圭一は自分の罪に気づくことができなければ、凶行に走るレナを命懸けで止めることはできませんでした。この世界は魔術師バトラがカケラ紡ぎをした結果の世界なのではないかと考えました。もしもの世界で自分が犯した罪を知り、その原因を他者ではなく自分に認める人間ばかりなら、少し譲り合うだけで「赦し合う奇跡の世界」が完成します。カケラ紡ぎに必要なのはベルンカステルの奇跡なのでしょうが、その奇跡を起こすためには「右代宮家の人間が自分の罪を認めることのできる人間」である必要があります。自分の不幸を他人のせいにする人間は世の中に沢山います。もし右代宮家の人間が自分の罪の原因を、自分の不幸の原因を他人に押し付けない人間ばかりならば。
 ババ抜きも、ジジ抜きも、必要ありません。
 奇跡は皆が信じなければ起きない。
 信じるとは相手を自分の都合の良いように解釈することではありません。相手の真実を知ったうえで、気持ちを知ったうえで、赦すことだと思います。言葉にするのは簡単ですが、そのような心を持つことはとても難しいことです。
 ですが私は今までの物語で、右代宮家の強さを何度も見てきました。だから白い文字で書かれた幻想描写を"信じ"ようと思いました。譲治の蹴りも朱志香の拳も、ただの描写ではなく二人の心の強さを示す。「私があの時ああしていなければ、全ては狂いださなかったのかもしれない」……その辛く苦しい考え方を全員が抱くことができる、それだけの強さを持つことのできる人間ばかりなら、世界は少しだけ優しくなるのかもしれません。
 生きている内に「赦し合える奇跡」に至れなかった。
 でも、死後に全員がボトルメール偽書の世界を体験し、自分の罪を認め、自分以外の罪を赦し合った。死んでしまった後だから自分の人生はどうしようもないけれど、たった一度だけ最後の一族である縁寿に伝える機会を与えられた。だから、何かを遺したい。
 それぞれが最後に「自分が本当になりたい自分」を縁寿に遺したいと思った結果出来上がったのが、あのハロウィンパーティーなのだと思いました。
 
 金蔵が家族を溺愛しているのは、本当はそうしたかったのに出来なかったから。
 絵羽が縁寿に対してとても優しいのは、本当はそうしたかったのに出来なかったから。
 留弗夫が霧江にかつての罪を懺悔したのは、本当はそうしたかったのに出来なかったから。
 夏妃がかつてベアトを拒絶したことに心痛めるのは、本当はそうしたかったのに出来なかったから。
 ベアトが夏妃をカアサンと呼んだのは、本当はそうしたかったのに出来なかったから。
 真里亞が縁寿を魔女同盟の後継者と認めたのは、本当はそうしたかったのに出来なかったから。
 紗音と嘉音が決闘をしようと決めるのは、本当はそうしたかったのに出来なかったから。
 
 出来なかった理由はただひとつ。一歩踏み出すのが、怖かったから。
 それは右代宮家だけの特別なことではなく、誰にでもあり得ること……なのかもしれません。