どどめ色の真実

ジャンルばらばらの闇鍋ブログでございます。

【うみねこ】4.色々考えた果てに

 
 私が初めて『ひぐらしのなく頃に』に出会ったのが2009年の年明け頃。それを読破し『うみねこのなく頃に』出題編(〜ep4)に手を出してから、今年の初夏でおよそ10年。
 ネット評に翻弄されつつ、自分なりの考察を(PC環境やらリアル都合により)心の内に留めて、他人の考察を読むするだけに過ぎなかった10年。
 こうしてブログ記事という形で公開出来て良かったです。
   (今回は考察ではなく、感想です)
※このページには「うみねこのなく頃に」の多大なるネタバレが含まれます。
 未プレイの方はご注意ください。
※漫画版ep8についてもネタバレがあります。お覚悟を。
 

 

■公式以外の答え探し

 これまで三つの説を語りましたが、ややこしいので簡潔にまとめます。
【not三位一体説】
 ・今までの物語(ボトルメール内)の設定が実際の六軒島であるとは限らない。
 ・紗音、嘉音、安田(ベアト)が同一人物というのはボトルメールだけの設定。
 ・ベアトの娘は紗音で、安田は血筋的に無関係。
 【金蔵ぐう聖説】
 ・金蔵が全ての元凶なら彼をスケープゴートにすることで丸く収まるのが嫌。
 ・戦人、留弗夫が自分の過ちに対して人並以上に責任を感じる性格なら、金蔵もそうであった可能性がある。
 ・実際の金蔵は歴代ベアトリーチェと子を成したことがなく、あえて自分のせいにすることで他人を庇い続けていた。
 ・歴代ベアトリーチェへの優しさが全て裏目に出てしまい、それに責任を感じていた。
 【別に惨劇なかった説】
 ・1986年の親族会議で本当は右代宮家の問題は全て解決していた。
 ・絵羽以外の全員が死亡したため仲の悪いイメージが広まり、世間ではそれが真実として扱われてしまう。
 ・ep8とは全員が事件の全容を知り、自分の罪を自覚し他者の罪を赦した世界。無限の魔術師バトラのカケラ紡ぎの結果。
 ・右代宮家最高!
 
 これが迷った末に辿り着いた私なりの"真実"です。
 当然のことながら、竜騎士07先生がこのような前提で物語を作ったとは思っていません。先生の設定では三人は同一人物であり、理御は金蔵の孫で子供であり、あの日なんらかの惨劇が起きたのでしょう。
 ep8以降、他の人の感想や考察が気になり色々な推理を見てきました。そして私の中でも色々な犯人説を考えました。源次、南條、郷田、朱志香、譲治……。こじつけ上等で考え続けた結果、ひとつの結論に至りました。
 猫箱の中でなにが起きようとも、世間評が変わることはない。
 皮肉なことに、だからこそ自由な推理が許される。
 紗代が惨劇を起こす訳でなく、金蔵が過ちを犯す訳でなく、右代宮家が争うわけでもなく。それでも猫箱の外の世間評が変わらないのならば、なにひとつ変化を及ぼさない。
読んでくださった方にはわかるでしょうが、これでもかというくらい手前勝手な真実により構築された、理屈に欠ける屁理屈説ばかりです。
 変化する可能性があるのは、これを読んで何かを感じてくれた"あなた"の心だけ。もしかしたら"あの日の六軒島"はそれほど悪いものではなかったのかもしれない、という僅かな可能性を拾ってくれる人がいれば。その為に私の中のごちゃごちゃとした推理を形にして、公表しました。
 
 先日ついに漫画版ep8を読みました。前記事で語った通り、私は原作とは違う展開らしいこの作品を警戒していました。

 ↓こちらを参照ください。
equisetum.hatenablog.com

 

 読み終えた感想としては、大変満足しております。夏海先生、ありがとうございます。下馬評通りの素晴らしい完成度と原作では語られなかった部分の補足、そして夏海先生の美麗なイラストと、最後を語るにふさわしい作品でした。

 ……と、作品そのものは素晴らしいものですが、同時にこれが原作ep8ではなくて良かったと思いました。もし原作でここまで細かく描写をされていたら、確かに原作終了後のような賛否両論の嵐にはならなかったでしょう。しかし私がネットの海で見かけた様々な解釈は生まれてこなかったでしょう。

 「猫(物語)は愛でて、殺して、二度楽しめる」という表現がありましたが、うみねこという作品は本来三度楽しめるものだと考えています。

 一度目は、推理しながら物語を読み進めて。

 二度目は、自分以外の誰かの考察を読んで。

 そして今回、三度目に竜騎士07先生の設定を知って。

 
 私が考察(という名の屁理屈)を書いた一番の動機は、『うみねこ咲』が出る前に自分の頭を整理したいという自分本位な理由です。また、リアル一なる真実の書らしい漫画版ep8を読む前に覚悟を決めておきたいという気持ちもありました。もし原作後に考察をせず、誰の考察も見ないまま漫画版を見てしまえば、辿り着くのは「公式設定」のみです。うみねこという作品において、それは実に勿体ない。
  うみねこの魅力は散弾銃推理、ブッ飛んだ発想を楽しむことだと私は思っています。なぜなら考えるのが楽しいから。永遠の後期クイーン問題を楽しむことが、うみねこ世界を満喫する一番の方法だからです。埋まらないパズルの穴を妄想という名の考察で埋めるのもまた、楽しい。他人の考察を見るのも面白い。ネタとして投下された推理も息抜きにはちょうどいいものです。
 

■相手の立場に立って考える

 作中で何度も語られ、OP曲の歌詞にもなっている言葉、「愛がなければ見えない」。この言葉は「都合の悪い部分から目を背け、相手の都合のいいように捉える」という意味ではありません。
 私は「多角的な視点で物事を見るべきだ」という意味だと解釈しました。チェス盤をひっくり返す。ただし、初期戦人がそうであったように、理屈だけで考えるとどこかで躓きます。視点を変える過程で重要なのは、価値観もまたひっくり返すこと。人により価値観が違う、というのは当然ですが、自分の理解しがたい価値観を受け入れるのは簡単ではありません。例えば、うみねこの真犯人の動機を理解できるかどうか。殺人の動機ともなるとすべてに共感できるものではありませんが、大事なのは「私にとっては納得できないけれど、あの人にとっては重要なことなんだ」という考え方ができるかどうか。相手の立場に立って物事を考えることができるかどうか。
 文化や集団という大まかな区切りはあれど、価値観は人間一人ずつ違います。生まれ、育った環境、人生経験……そのすべてを理解するのは難しいですが、「自分と異なる考え方がある、あってもいい」という考えを持つことで、少しだけ優しくなれる、のではないでしょうか。
 
 私は右代宮金蔵が好きですが、その上で金蔵が本当に過ちを犯した(実娘に手を出した)可能性も捨てていません。たとえそうでも「金蔵が罪を悔いている気持ち」は信じたいと、そう思いました。根拠は物語を読み解いた結果ですが、同じ物語を読んでも金蔵が許せない、金蔵が反省しているとは思えないという人もいるでしょう。
 それならそれで構いません。誰を信じるか、どの真実を認めるかは、誰に対する愛が大きいかで変わります。金蔵を信じてくれたのなら光栄ですが、それを強要はしません。
 "私は私の推理を大切にするけれども、貴方の推理も、同じくらい尊い。"
 相手の推理を認め尊重する姿勢が、世界を広げるのだと思います。
 

■全ての考察に祝福を

 ep8後広まった説のひとつに「戦人犯人説」というものがあります。
 これは一人の考察ではなく同じことを考えた方が結構いたようで、真剣に考えた結果のものもあればep8で細かく明かされなかったことへの当てつけのものもありました。当時私が見たのは、
・事件の真相は戦人による一族への復讐劇
・最後にベアトと共に船で逃げ出すも、ベアトを突き落とす
・記憶障害になっておらず自我もしっかりしている
・ep8裏お茶会での最後は、余命短い縁寿に対する完全犯罪の勝ち名乗り
……とまあ、だいたいこんな感じでした。
 この類の推理を見た時、私は完全に拒絶しました。しかしその後、小冊子や黄金夢想曲うみねこ公式格ゲー)で「黒き戦人」が採用され、驚きました。しかも黄金夢想曲で紗音と組んだ場合、二人で罵り合いながら六軒島で殺人を繰り返す、攻撃技で留弗夫と霧江が協力する、……そんなシナリオを竜騎士07先生自身が書いたというのが衝撃的でした。また、漫画版ep8でも戦人犯人説について言及されていました。
 それをきっかけに改めて戦人犯人説について調べていると、「うみねこで重要視しているはずのホワイダニットを無視した結果生まれる存在」や「真犯人を守る為に自分が犯人であると偽った結果の存在」という考察を目にしました。この辺りは若干のメタ考察とも思えますが、そう考えると確かにひとつの意見としてはアリなのかも、と思いました。
 黄金夢想曲では紗音と共犯でしたが、別に紗音が真犯人と無関係でも、そもそも大前提であるベアト=紗音=嘉音(三位一体)でなくとも戦人犯人説は成り立ちます。
 戦人以外にも色々な犯人説があり、その中には三位一体が必ずしも必要でないものもあります。
 
 私はうみねこの物語をジジ抜きにするべく金蔵ぐう聖説を主張してきました。ただ、ネットの海に存在する多種多様な犯人説を見ていると、ババ抜きも悪くはないと思えます。竜騎士先生の想定した本来の物語では、ババを引くのは真犯人、あるいは次男夫婦です。しかし別の犯人説ではそのババを引く人間が違います。場合によっては真犯人の苦悩の大元さえ取り除けてしまうのです。
 それらを二次創作と言ってしまえば簡単でしょう。でも私はそれを、「もっと大きな猫箱で包んだ結果のひとつの未来」として認めました。同じ世界の、前提が違う物語。ベルンが右代宮理御を存在させる為に用意した猫箱よりも大きな箱を作る魔法。(not三位一体説もそんな「前提の異なる」猫箱のひとつです。)
 
   価値観が違えば考えが変わる。考えが変われば世界が変わる。そうして自分とは異なる考え、価値観に触れることがとても楽しいと思っています。
   私は割と楽観を望む人間です。色々な考えを巡らせた結果行き着いた先が別に惨劇なかった説、後日評が変わらないなら極端に平和な展開でもいいんじゃない? という結論でした。
 
   私が考察を重ねる過程で生まれた、紗代ではない安田。(理御顔メイド服のイメージは、昔見たファンアートの影響です。)前提を変え安田=紗代でない大きな猫箱があったなら、紗代があそこまで苦しまず済むかもしれない。そうだったらいいな、と思っています。
 
   『うみねこのなく頃に』に出会ってから早十年。物語そのものも勿論ですが、誰かの推理、考察に触れるのが何より楽しかったです。そして自分なりの説をこうして記事にまとめることで、私自身も新たに気付かされる事が多々ありました。
   このような物語を紡いでくれた竜騎士07th先生に感謝いたします。そして、私の考察を見て下さった方々へも深く感謝いたします。
   本当にありがとうございました。