どどめ色の真実

ジャンルばらばらの闇鍋ブログでございます。

【うみねこ】難易度高めのLast note(B面)

 A面に対するB面。表に対する裏。

 A面では肯定的な意見を中心にしましたが、こちらでは『うみねこ』に対して否定的な部分も含まれます。……それでも大丈夫ですか?
f:id:Equisetum:20200416201709p:plain  ※この記事には、「うみねこのなく頃に咲」及び「ひぐらしのなく頃に解」のネタバレが含まれます。ご容赦を。

 単品でも読めますが、先にA面を読んで頂けるとありがたいです↓
equisetum.hatenablog.com

 前書きでも述べましたが、ここから先にはうみねこについての否定的な意見も含まれます。

 私がLast noteの答えとして至った結論は二つ。一つはA面で述べた、
 「真実はひとつじゃない。真実は想像の数だけ無限に増えていく。ひとつの真実で散ってしまった真相から種が生まれ、芽吹き、また咲き誇る」
 という肯定的な答え。もう一つの答えは……

「黄金郷に未来はない」

 ……という、うみねこの結末を否定しかねないものです。

 私はうみねこが大好きです。ブログ内でもよくうみねこを題材に使います。その気持ちは今でも変わらないし、EP8も黄金郷も魔法エンドも納得しています。 

 私は黄金郷に対して疑問を投げかけはしますが、全てを否定するつもりは一切ありません。もしそう捉えた方がいましたら申し訳ありません。



 ……大丈夫ですか?

 それでは始めます。


■自分に都合のいい"IF"


 ピース自身も語っていることですが、「もし明日夢が生存していたら惨劇は起きず平和に終わっていた」というのは都合の良いおとぎ話です。実際そんな状況になったからといって全てがうまくいくとは限りません。

 確かに明日夢なら碑文の謎を解けたかもしれません。
 碑文の真意を悟ることができたかもしれません。

 しかしその場合でも、例えば「安田が金蔵の子であり孫である」という真実を知った時の絶望が変わることはありません。むしろ戦人が傍にいることで余計追い詰められる、という可能性もあります。その辺りを伏せたとしても古参組は近親相姦を知って止めようとするかもしれません。

 金塊に関してもたとえ親族にうまく配布されたとしても、その取り分で争いが起きる可能性もあります。

 明日夢のお陰で平和に終わる世界というのは、そういった「不都合な可能性」を全て排除した上で成り立つ、大量のサイコロを投げて全て六の目が出るような奇跡のカケラ世界に過ぎません。「夏妃が赤ん坊を落とさなければベアトリーチェは生まれなかった」というのと理屈は同じです。どちらの方が可能性が高いのかは分かりませんが。


 でも、それでいいんです。きっと。

 どこが悪くて惨劇が起きてしまったのか、考える。

 もしこうだったら上手くいったんじゃないか、と考える。

 たとえ理想論に過ぎないしてもその姿勢はとても大切なものです。ご都合主義を否定するのではなく、ご都合主義を起こす為に必要なのは何か、考える。それが私たちプレイヤーに望まれたことだったはずです。

 それが、カケラ紡ぎ。猫箱の中にある希望。

■黄金郷の弊害


 黄金郷は「死者の尊厳を守る為の理想郷」という面がある、とA面で語りました。だからこそEP8で親族への悪評と不信でズタボロになった縁寿を救うことが出来、右代宮家の皆の心を救うことができました。相手の真実を知ったうえで、気持ちを知ったうえで、赦すことのできる世界こそが黄金郷だと私は思っています。(昔書いた記事「別に惨劇なかった説」でそういった旨を語りました。)死後であっても右代宮家の皆はそれが出来、互いを赦しあった。そんな素敵な物語なのだと。

 うみねこホワイダニット、つまり「犯行に至るまでの心理」を重視しています。Last noteでの三人の言動からもそれを感じることができます。

 しかし……。

 特に戦人はそれに固執しすぎている気がしました。例えば、

 ハンガーぶつけてSHINEって言われて富士山が見えなくなったからとかみたいな、犯人にとっては重要でも、第三者からは、そんな理由で人の命を?!って驚かれるようなものではない、ってことだよな?

 という台詞。直前のベアトの言葉を借りれば、「犯人以外の誰にも納得できないような、偏執的で独善的な動機」の例としてこれを出しています。初めて読んだ時、なんだかモヤッと、嫌な感じがしました。パロそのものが嫌な訳じゃありません。竜騎士先生がネットミームに乗っかるのはよくあることなので、これもそのひとつなのだろうとは思います。

 その後戦人は魔女の動機について、

魔女のゲームはな。……何でもアリだ。考えるのが馬鹿馬鹿しくなりそうなくらいに、異常で狂ってて常識はずれでイカレてる……!! だがな、絶対に蔑ろにするな……。心を……ッ!!!
(以下略)

 と、真剣に語ります。



 ……………。

 魔女の動機だって、当人以外には理解できないものです。私には、Last noteの戦人は『うみねこ』基準のホワイダニットしか認めないように見えてしまいました。私だけかもしれませんが。

 でも、 ホワイダニットを一定の基準だけで測るようになってしまったら、そこに新しい発想は生まれないと思うんです。
 EP4での紗音の言葉。黄金郷は暖かな布団のように安らぎに満ちた世界。でも、そこには幸せだけは存在しない、と彼女は語りました。

 それ以上を望むことがないからこそ、今以上の幸せを得ることができない。永遠の思考停止に陥りかねない世界。追い詰められた人々の救いにはなるけれども、満場一致の状態でなければ保てない理想郷。

 もし、誰かが今以上の幸せを望んでしまえば黄金郷は崩壊してしまう。だから"未来"が存在しない。そしてどんどん黄金郷のルールと定義以外の価値観を受け入れるのが難しくなってくる。

 住人が皆死んでしまっているのならそれも有りかもしれません。

 残された縁寿にとっては黄金郷で皆が待っていることが救いになるかもしれません。

  でも、EP8の戦人が黄金郷に残りたいという縁寿を拒んだように、今を生きている人間が求めてはいけない世界なのだろう、と思います。

■強く生きて花は咲く


 ここでちょっと飛んで、『ひぐらし解』祭囃し編スタッフルーム(あとがき)の話に移ります。

 その中で挙げられている沙都子救出問題について。『ひぐらし』の世界は一人で抱え込むとバッドエンドになります。誰かに相談して、連帯し非暴力主義で訴えることで沙都子を救う。それが皆殺し編での答えです。あの辺の展開は胸熱で、大好きです。

 しかしこのスタッフルームではひとつの疑問を提示しています。祭囃し編では連帯を描く為に、鷹野を生贄にすることになる。(それを防ぐ為に羽入=オヤシロ様雛見沢症候群が罪を背負いました。)敵を作り出すことで仲直りをするというのは争いの連鎖であり、それこそが人の世の鬼ではないのか。鷹野をを叩きのめすことで迎えた結末を理想的な解としていいのか。(過激な言い方ですが、原文がこんな感じです。)

 その後にこう付け加えられています。

 その論法から行くと、沙都子救出を巡る問題は、「皆殺し編」すらも実は最高の解ではない、という結論に行き着くのが、ご理解できますでしょうか……?

  何が言いたいかというと、竜騎士07先生は自分の描いた物語の答えを絶対の正解とは見なしておらず、提示した答えに疑問を持ってもらいたいのではないかという話です。(ただ『ひぐらし解』祭囃し編発売は2006年。14年前の竜騎士先生と今の先生の考えが同じとは限りませんが。)

 例えばひぐらし完結後に発売された賽殺し編では、あれだけ死に戻りループを繰り返して理想の世界を手に入れた梨花ちゃんに対して、羽入は「ループで未来を選ぶことは本当に正しかったのか」という疑問を投げかけています。せっかく一度は綺麗に完結させたのに、その祭囃し編の結末に対するアンチテーゼともとれるのが賽殺し編でした。

 そして今回のLast note。色々な疑問やテーマが盛り込まれていますが、そのひとつが「黄金郷は本当に正しかったのか」考えてもらうことなのではないか、と思いました。

 一見幸せに満ちた黄金郷ですが、その陰には右代宮明日夢という見えない生贄がいました。他にも気が付かない内に零れ落ちた誰かがいたかもしれません。そして黄金郷の住人達は皆が互いを守り合う世界だけれど、今以上の幸せを手に入れることは出来ない。

 うみねこep8を終えた後、全てを肯定するのではなく少しだけ振り返って「これで良かったのかな」と考えて欲しい、のではないかなぁと思いました。